万華鏡の歴史
■英国で発明、米国での発展 |
【スコットランドの物理学者ブリュースターが発明】 万華鏡は1813年にスコットランドの物理学者デヴィッド・ブリュースター卿(Slr.Davld.Brewster 1781-1868)によって発明されました。 彼はこのすばらしい玩具の発明者として、1816年にパテント申請し特許を得ました。しかし、特許登録上の不備から、抜け目のない人たちに出し抜かれ、これによるお金儲けはできなかったようです。 |
■アメリカへの伝承 |
カレイドスコープは、早い時期に大西洋を渡ってアメリカにも伝えられました。 プロイセン生まれで1847年にアメリカに移住したチャールズ・ブッシュ(Charles G Bush 1825-1900)が1870年頃に制作したスコープは、液体入りのガラスのアンプルが使われており、これは現在でも非常に重要な技巧として活きています。彼のスコープは逆にビクトリア朝のイギリスに渡り、サロンで人気を得ました。 その後、スティーブン・カンパニーによって初めて量産されて以来、アメリカでも子供の玩具として一般の人々にもひろがりました。 |
■アメリカでの「カレイドスコープ・ルネッサンス」 |
1960年から70年代にかけて、サイケデリックカルチャーの影響もあってか、カレイドスコープを、新しいアートとして、また、人々の心に癒しやインスピレーションをもたらすツールとして、再認識する動きが始まりました。1982年の「スミソニアマガジン」におけるカレイドスコープ特集記事によって、さらにブームが生み出されました。 この流れを単なる一過性のものに終わらせずに、1つの文化として定着させたのが、コージー・ベーカー女史(Cozy Baker)です。ミセス・ベーカーは、1985年に世界初の万華鏡の本「Through the Kaleidoscope」を出版し、同時に世界初の大規模な万華鏡の展示会を開催しました。 こうして、イギリスで生まれたカレイドスコープは、アメリカで「カレイドスコープ・ルネッサンス」として再発展したのです。 |
■日本への渡来、新世紀のネオ・ルネッサンス |
【日本への渡来】 1819年(文政・天保期)の大阪の年代記『せつようきかん攝陽奇観』に「紅毛渡り更紗眼鏡流行大阪にて贋者多く制す」という記述があり、カレイドスコープは、発表後わずか3年で日本に伝わったことになります。1850年に蘭学者、高野長明が訳した「サンペイタクチーキ三兵答知幾」に「カレイドスカフ可列以度斯可布」とあり、その後明治時代に入っては「ひゃくいろめがね百色眼鏡」とも呼ばれ、さらに改良されたものが「ばんかきょう万華鏡」として人気をあつめました。国産品も出回り、1890年頃には「にしきめがね錦眼鏡」として流行しました。 これ以降、現代まで誰もが知っている子供の玩具として、また、観光地でのお土産として日本で定着することになりました。 【日本の「カレイドスコープ・ルネッサンス」】 1994年に、日本初の万華鏡のみを扱う専門店、「カレイドスコープ昔館」がオープンして、アメリカン・カレイドスコープを紹介しました。これを機に誰もが知っている「他愛のない子供の玩具」として認識されていた万華鏡が、大人の想像力を刺激するファンタジックなツールとして再評価されはじめました。開店以来おおくのマスコミに注目され、今静かなブームが進行中です。1997年には、“The Brewster Society Japan”が設立され、日本の「カレイドスコープ・ルネッサンス」が始まりました。既に、作品として万華鏡を制作する日本人アーティストも現れています。 19世紀始めにイギリスで生まれ、20世紀のアメリカで飛躍的に発展したユニークな文化が、新しい世紀を迎えた日本で、これからどんな発展をするのか、非常に楽しみです。 |